修二会(しゅにえ)お水取りで厄払い

東大寺の静かな夜空を、巨大な炎が裂くように照らす――その光景を目の当たりにした瞬間、誰もが言葉を失います。奈良の冬の終わり、3月に訪れるこの行事「お水取り」。その正式名称は「修二会(しゅにえ)」。千年以上もの間、絶えることなく続けられてきた、日本仏教の中でも特に尊い法要です。

祈りの対象は、私たちが暮らすこの国の安寧、五穀豊穣、人々の罪の浄化、そして健康長寿。つまり、個人の願望を超えた“全体”への祈りです。しかし、そんな荘厳な祈りの場に身を置いた時、自分の心の奥にある“個人的な願い”が、ふと浮かび上がってくることがあります。恋愛、出会い、自分のこれから――そんな想いもまた、静かに灯火の中であぶり出されていくのです。

お水取りとは、言ってみれば“心を洗う時間”。現代の忙しい日々の中ではなかなか得られない、内なる自分と向き合うひとときです。だからこそ、恋愛成就そのものを祈る行事ではないにもかかわらず、この行事をきっかけに心を整え、人生の新しい扉が開いた――そんな人がいるのも、決して不思議なことではありません。

例えば、ある女性の話。仕事に追われていた日々、ふと友人に誘われて訪れたお水取り。暗闇の中、松明を持った僧侶たちの力強い姿に圧倒され、その火の粉を浴びた時、心の奥底まで清められたような感覚に包まれたそうです。「自分の悩みがちっぽけに思えて、また明日から頑張ろうって素直に思えたんです」。そう話す彼女は、その後、新たな人との出会いを経て、今はパートナーと穏やかな日々を過ごしています。

何かが劇的に変わる、というわけではないのかもしれません。でも、心の向きを少し変えるだけで、人は意外なほどスムーズに前へと進めるのです。心に余裕ができれば、これまで気づかなかった人の優しさや、見落としていたチャンスにも目が届くようになります。そしてその心の変化は、お水取りのような「祈りの場」でこそ、自然と芽生えるのかもしれません。

また、こんな話もあります。歴史好きの男性に恋をしていた女性が、思い切って「お水取り、一緒に行ってみませんか?」と声をかけたのだそうです。初めて訪れる東大寺、そしてその荘厳な行事。松明が夜空を焦がし、見物客たちのどよめきが境内に響きわたる中、自然と二人の距離は縮まっていきました。「あんなすごい行事を一緒に体験できてよかった」「またどこか行こうね」そんな言葉を交わしながら、帰り道ではすでにお互いの“特別な存在”としての意識が芽生えていたと言います。

恋が始まる瞬間というのは、言葉では説明できないものかもしれません。ただ、何か大きな出来事を共有することで、心の深い部分でつながる感覚――それを一緒に味わうことができれば、自然と二人の関係は変わっていきます。特に、お水取りのように非日常の中で心が揺さぶられる体験は、その力をさらに強くしてくれるのです。

長く連れ添う夫婦の中には、毎年この行事を訪れることを恒例にしている方もいます。10年、20年と同じ時期に同じ場所を訪れることで、二人の間に積み重ねられてきた歴史を振り返る。喧嘩をすることもあるけれど、「また一緒にここに来られたね」と語り合うその時間が、かけがえのないものになっていく。

「恋愛」と聞くと、多くの人は“出会い”や“成就”といった、表面的な出来事を思い浮かべるかもしれません。でも本当の意味での恋愛の始まりや、その関係が続いていくために必要なものって、意外にもこうした“静かな心の揺れ”なのではないかと思うのです。

恋がしたい。でも、なぜかうまくいかない。そんな風に感じている人こそ、一度このお水取りに足を運んでみてはいかがでしょうか。誰かと一緒でもいい。一人でもいい。大切なのは、その場所で、自分の心にどんな感情が芽生えるのかに耳を澄ますこと。

日常の喧騒から離れ、千年の祈りが積み重なった東大寺の境内で、自分の内側に目を向けてみる。そこで得た静けさや安らぎが、きっとこれからのあなたの人間関係、そして恋愛に、優しく、でも確実に影響を与えてくれるはずです。

お水取りは、恋愛成就の“魔法”ではありません。けれど、自分自身を整えることで、自然と良い流れが訪れる――そんな“きっかけ”として、これほど力強く、そして尊い行事は、他にないのではないでしょうか。

だからこそ、恋に迷った時、不安な時、前を向きたい時。その一歩を、お水取りとともに踏み出してみてください。その火の粉が、あなたの心にある迷いを、そっと焼き払ってくれるかもしれません。